会社の仕事は没頭しなくてもできちゃうから始末が悪いって話【実体験】

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こんにちは。あと3週間くらいで退職するカトー(@hisayosky)です。

現在、職場で最後の大仕事「実習生の指導」をやっています。

 

先日、その実習生からこんな質問をされました。

実習生
昨日考えてしまったんですよね。

わたしはこの仕事に就いて何がしたいんだろうって。

好きと仕事は分けて考えたほうがいいんでしょうか?

 

この問いの答えは、

好きと仕事は絶対にわけて考えちゃダメ!!!!

です。

 

当面の生活費を手に入れるためならそれでもいいですが、好きと分けて考えてしまうと仕事は途中から苦行になります。

ぼくは仕事と好きをわけて言語聴覚士になりましたが、けっきょく11年経って辞めることにしました。

国家資格だし安定しているし普通に考えたら辞める理由はありません。でも「好き」と「仕事」をわけてしまうとどうしても続けられなくなることがあるのです。

【あわせて読みたい】>>国家資格でちゃんと食える専門職に就いているぼくが仕事を変える理由

 

そんな実体験をもとに「好きと仕事を分けて考えてはダメな理由」についてお話していきます。

ではいってみましょう。

 

仕事って本当にツライものですか?

ぼくのまわりにいる人たちにとって仕事とはツライものであるようです。

ヤッホーといって出勤してくる人はいませんし、みんな週末がたのしみです。四六時中仕事のことを考えてしまうような人もいません。

 

ぼくの父はゴルフ好きなのですが、つねづね「好きなことは趣味でやるくらいがちょうどよい」と言っています。

せっかくの楽しいゴルフがプロになると途端に辛いものになってしまう。だからゴルフは趣味で仕事は別にあったほうがいい。

というのが父の考え方です。

ちなみに父は公務員として長らく勤め上げ、数年前に定年退職しています。最近、野良猫を手名付けるのが趣味に加わりました。

 

こういったまわりの人たちの影響を受けたおかげで、ぼくも「好きなことは仕事にしないほうがいいよね、仕事は仕事だよね」といつからか考えるようになりました。

 

それでいまの仕事についたのですが、ついてから気づいたんですよね。

 

好きじゃないことを仕事にするほうがよっぽどツラくない? と。

 

11年間病院勤務してきた経験から断言できます。仕事がツラくていいことはなにもありません

 

好きじゃなくてもできるのが会社の仕事

振り返ってみるとぼくがいまの仕事を好きじゃない証拠はそこら中にあふれていました。

 

月曜日がツライ。ほぼ毎週頭痛になっていた。

☑専門職のくせに勉強するのがイヤ(仕事以外の勉強は嬉々としてやっていた)。

☑仕事の勉強会に出席すると損した気分になる。

☑平日は日中眠くてしかたがない。

☑ヤッホー仕事だと思ったことがない。

☑週末の休みと年に1度の長期休暇が超たのしみ。

平日の5日間はただ過ぎ去るのを待つ時間だった。

 

リトルカトー
こりゃ救いようがないな・・・

 

「なにを甘えたこといっとるんだ、仕事だったらそのくらい我慢しろ!」とおっしゃるかもしれませんがよく考えてみてください。

 

これ、仕事じゃなかったらとっくにやめちゃってるでしょう?

 

こんなに続かない要素があったらダイエットでもジョギングでも速攻で挫折します。

続かない要素が満載でもへんに努力して続けてしまうのが「仕事」のやっかいなところです。

 

好きじゃなくても続けてしまうのは「お金」のためだから

ぼくはお金のために11年間働いてしまいました。

医療の専門職として人のお役に立てたこともあるかもしれませんが、なんとなく仕事している時間が圧倒的に多かったです。

 

生活のためといえば聞こえはいいですがけっきょくお金がほしかったんですよね。

「ちゃんと就職しよう」と思った動機もたぶんお金です。安定した収入がほしかったのは間違いないです。

安定した収入を得られる手段が就職しか思い浮かばなかったから好きかどうはさておいて就職してしまったわけです。

 

没頭できないのに伸びるわけがない

好きじゃなくても仕事にできるしある程度は続けられます。でもそんな仕事は続けても絶対に伸びません。

なぜなら没頭できないから。

時間もご飯も忘れて力を注げるようなものでないと自分の仕事にはなりません。

 

没頭できなくても人並みに仕事ができていればそれでいいのかもしれません。

しかしぼくはいつからか自分の仕事に「ただ時間をつぶしている感覚」を覚えるようになりました。

 

仕事=「会社で一日時間をつぶすこと」。

そんな毎日にぼくは耐えられませんでした。

 

ぼくは成長志向が強いので、どうせ時間を使うなら成長していたいしそのほうがおもしろいと感じます。

成長するためには没頭できることが必須の条件です。没頭は無理なく仕事を続けるための条件でもあると思います。

 

努力しても我慢しても没頭はできない

没頭はしようと思ってできるものではありません。

気づいたらしてしまっているものです。

 

やっていることが好きであったり、まったく苦にならなかったり、無意識に手が伸びてしまうものであれば没頭するのは難しいことではありません。

むしろ没頭しないようにすることのほうが難しい。

 

逆に努力しなければやれないことではどうがんばったって没頭には至りません。

3年やっておもしろくならなかったらもう見込みはないでしょう。

個人的には2年で見切りをつけられればよかったと思っていますが、お金のために働いていたので気づいたとしても見切りは付けられませんでした。

 

「努力が足りないから没頭できない」と考えるのは間違いです。

どうがんばってもできないことに無駄に力を注ぎ続けることはありません。

 

 

あなたは命を失ってもいいですか?

高橋祥子さん(@Shokotan_takaha)の「生命を燃やすことと失うことの違いと思考の関係と、二元論への終止符」という記事から抜粋します。

ここで個人の人生にとっての大きな問題は、果たして命を燃やしたのか、命を失ったのか?ということです。
命ほど大切で尊いものはないと思いますが、その大切な命の一部分を燃やして、炎のように光や熱などのエネルギーを何か生み出したのか、それとも単純に何も生み出さずに命を失っただけなのか、という違いです。なぜそれが大きな問題であるかは、生存の意味に直結するからです。

 

「好きじゃないけれど安定した収入が得られることを仕事にする」のは命を失っていることにならないでしょうか。

命ほど大切で尊いものはないことは誰でもなんとなくわかっていると思います。でも、なんとなくだと思います

だからぼくも含めて命を少しずつ失うことには鈍感です。死がすぐそこに近づいている人でさえ鈍感です。病院で働いていてそう思います。

 

高橋さんの記事からもう一つ抜粋します。

思考停止に陥っているときは、気づいた頃にはいつのまにか命をただ失っていることが多く、逆に①最大限に思考をしてからその時間を使った場合、または②意識はしていなくても真剣にがむしゃらに思考せざるを得ない状況に結果的に身を置いていた場合には、命を燃やして輝いていることが多いということです。

 

好きかどうかはともかくとしてこれで絶対稼ぐんだ、家族を守るんだという決意で選んだ仕事なら命を燃やせるでしょう。ツラくてもがんばれるでしょう。それはそれでよいと思います。

でもどうせなら没頭できるもので命を燃やしたいとぼくは思います。好きなものに没頭して自分に関係のある誰かを守れるならそのほうが絶対いい。

 

かつてのぼくがそうだったように、大学を出たら就職をすると思いこむことは思考停止です。思考停止に陥ったままだといつのまにか命を失っているかもしれません。

だから好きと仕事をわけて考えてはいけない。好きを仕事にするにはどうしたらいいか全力で試行錯誤するべきです。

 

加えて言うならば、試行錯誤は若い時のほうが圧倒的にしやすいです

40代、50代では無理というのではありませんが20代なら時間も体力もあるし制約も失うものも少ないはずです。試行錯誤しないのはもったいないです。

 

だから声を大にしてぼくは言いたい。

 

たかが就職くらいで自分の「好き」を手放しちゃいけないよ。

 

就職で「好き」を手放してしまった挙句、11年経って取り戻そうとしている人からのアドバイスです。

 

まとめ:「仕事」と「好き」は絶対分けちゃダメ。どうせやるなら没頭できることを仕事にしよう

  • 仕事がツラいのは当たり前じゃないよ。
  • 没頭できるものはなんであれ天職だよ。
  • 「大学出たら就職」という思考停止に陥ってない?
  • 命を失うより燃やす選択をしたほうがいいよ。

 

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